市川代官所のゆくえ |
御陣屋の門として引き継がれています。これは江戸時代に設置された市川代官所の表門なのです。
享保9年 | (1724年) |
徳川吉宗が8代将軍になる。 |
明和元年 | (1764年) | 駿河紺屋町に出張陣屋が設置された。 |
天保6年 |
(1835年) |
「落合の大火」で元締役宅を残し全て焼失し、再建した。この時の図面が残されている。 |
安政元年 | (1854年) | 安政大地震が発生。その直後(32時間後)安政南海大地震が発生した。 |
安政6年 | (1859年) | 安政の大獄(安政5〜6年)。 安政東海地震で迅速に救済措置を取った 代官:荒井清兵衛は、名代官として高田に祀られている。 |
八代、巨摩を統治する市川代官所は7万石の大所帯でした。
明治3年 | (1870年) |
府藩県三治制制定。町所管の教育施設「日新館」開館。 |
明治4年 | (1871年) | 山梨県発足。 |
明治5年 | (1872年) | 学制発布により「市川小学校」発足。 |
明治時代の郡役所と市川尋常小学校平面図
明治11年 | (1878年) |
郡制を施行。西八代郡役所として市川代官所跡を改修して活用した。 |
明治21年 | (1888年) | 町村制を施行。市川大門村発足。 |
明治27年 | (1894年) | 日新戦争勃発。小学校本館を7間あまり東に移動して、教場を増設。 |
明治33年 | (1900年) | 市川大門町となる。 |
大正2年 | (1913年) | 郡役所を町役場庁舎に用途変更。 |
大正5年 | (1916年) | 市川小学校校舎を旧代官所屋敷に建設。町役場は移転した。 |
大正11年 | (1922年) | 郡制廃止。土地は町財産として市川尋常小学校敷地となり、御門、長屋などは町に払い下げられた。 |
大正12年 | (1923年) | 関東大震災。 |
大正13年 | (0924年) |
御門が県の史跡に指定された。 |
市川小学校舎(藤村型建築) 大正8年徴兵検査記念写真
昭和2年 | (1927年) | 富士身延鉄道(のちJR身延線)開通。 |
昭和5年 | (1930年) | 市川本町駅開業。 |
昭和9年 | (1934年) | 市川小学校が移転し、宅地などに売却された。 |
昭和28年 |
(1953年) | 山梨県立図書館西八代分館(181番地)の階上に公民館が設置された。 |
昭和32年 | (1957年) | 甲府地方法務局市川出張所、本庁舎、倉庫など補修完成。 |
昭和38年 | (1963年) | 寿会館建設に伴って、御門だけが現在の位置に移築された。 |
昭和48年 | (1973年) | 法務局出張所を廃止。中央公園完成。 |
昭和55年 | (1980年) | 町民会館が完成し図書館が町に移管され移転した。 |
市川尋常小学校卒業記念写真 昭和30年頃の御門
昭和38年移転前の御門。立派な長屋門でした。
現在の地図に重ねるとその大きさが解ります。
御門の内側には時の移り変りを知っている大きな松とお稲荷様が御座しています。
歴史を感じます。シロアリ対応の土台と御門の屋根の下には提灯用の柱。
おとなり富士川町に今も現存する地域の公民館です。 しかし、これは市川代官所の役宅を払い下げたもの。
案内板や説明も適切で大事に使われていました。
現在の状況と照らし合わせると・・・
昭和38年に建設された寿会館
――――――――――――――――――――――――
遠藤ひろし後援会
(浩友会)
〒409-3601山梨県西八代郡市川三郷町市川大門1274
TEL:055-272-0330 FAX:055-272-2126
mail:koyukai@enyo.co.jp